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急性心筋梗塞 

2013年6月2日(日)

(この記事は、入院中に書き留めておいた備忘録メモをもとに記憶をたどり、退院後にまとめた手記です)

昨日、病院へ行き、トレッドミルという心臓に負荷をかけた状態での心電図検査を受けました。一週間前から時おり襲ってくる、原因不明の胸の痛みについて精査するためです。その3日前、レントゲン、採血、安静時心電図では今ひとつわからなかったことが、昨日(土曜日)のトレッドミルによって明らかになりました。医師いわく「残念ながら本物の狭心症」ということで、週明け月曜日に循環器内科治療を得意とする病院でさらに精密な診察を受けるため、紹介状を書いてもらい、準備万端なのでした。しかし・・


【発作】

自分の心臓は、月曜日の診察まで待てなかったのでした。トレッドミルによる精査を受けた昨日(土曜日)の夜、23時頃からまた「発作」が出たのでした。これまでに経験したのと同じ程度の痛み苦しみでしたので、しばらくガマンをしました。しかし5分経っても、10分経っても痛みは治まらず。そこで舌下型のニトログリセリン剤(ニトロペン)を投入・・効かない。しばらくしてもう1錠を投入・・治まらない。

ニトロペンが効かないことはこれまでにも経験済みでした。それでも時間が経てば自然と治まってきたので、今回もその感じかと。しかしその期待は裏切られ、発作はまったく治まる気配を見せることなく、時間ばかりが経っていくのでした。

つくづく思ったのですが、自分は辛抱強い性格なのでした。発作の胸の痛みがいつか治まるだろうと期待して、ほぼ一睡もできないまま朝を迎えてしまいました。両親が起床したのを知り、「胸が苦しくてガマンできないから、病院へ連れて行ってほしい」と訴えたのが日曜の朝7時。もっと早くに救急車を呼ぶこともできたのですが・・呼吸困難という訳でもなく、胸が痛いことは痛いけれど、救急車を呼んでご近所を騒がせて迷惑をかけたくない・・そんな意識がはたらいて、救急車を呼ぶことを躊躇させたのでした。




【救急搬送】

昨日、病院で紹介状を書いてもらった病院へ電話し、事情を説明して救急対応してもらえるように依頼しました。そして父が運転する車で病院へ向かったのでした。病院では当直の救急担当医が待ち構えており、すぐに救急処置室へ迎え入れられました。紹介状とともに昨日の検査結果を見せたところ、心臓疾患に間違いないと判断されました。直後に心臓エコー検査・・

「心臓の一部、左前の部分が動いてませんね。心筋梗塞を起こしています」と・・!!! 狭心症ではなく、心筋梗塞! すでに次のステージへと進行していたということでした。救急担当医の判断で緊急手術の準備が始められました。日曜で非番だったであろう循環器内科の医師と看護師を招集・・メインのチームと、バックアップのためのセカンドチームに召集がかけられていることを、胸の痛みに苦しみモウロウとしかけている意識の中で聴いていました。病院に着いたのが7時半頃だったから、この時は8時頃だったのでしょう。

と、こう文章にすると、病院に連絡してから順調にコトが運んだように思えますが・・実はいくつものハードルがあったのでした。まずは両親・・「胸が苦しいから病院へ連絡して連れて行ってほしい」と頼んだ際、あきらかに不機嫌そうでした。そりゃそうです、日曜の朝、起きるやいなやそんなこと言われたら不機嫌にもなるというものです。しかし病院での救急診断を聴いて、父も驚いたことでしょう・・自分の足で歩き、自分の口でしゃべり、病院への電話もできた息子が、心筋梗塞を起こしていたとは思いもしなかったことでしょう。

そして病院・・電話をしてきたのが本人で、その症状も波があって少しマシなときに電話をかけてきていた(いちばんシンドいときに電話できるはずがないのですが)ということもあり、最初は「症状(痛み)がヒドくなっていくときにしか、狭心症かどうかの心電図診断ができないので、ヒドくなったら救急車ででも来てください(出なおしてください)」という、ある種の門前払い的な対応をされたのです。ひと晩、胸の痛みに苦しみ続けた自分としては「冗談じゃない」と、昨日の検査のいきさつを必死で説明し、「どうしても診ていただけないのですか?」としつこく食い下がった結果、救急診察の了承をとりつけたのです。

診察してはじめてわかったとは言え、心筋梗塞ですよ、急性心筋梗塞・・自分が意思表示することをどこかであきらめていたなら、事態はもっと深刻なものになっていたかもしれません。手遅れになっていたかもしれません。生命を落としていたかもしれません。そういう意味では、不幸不運な状況にあっても、幸運をみずからの手で引き寄せたと言えるでしょう。どんなときも、意思の力はとても大切です。他人まかせでは運を逃してしまうことだってあるのです。




【緊急手術】

9時30分頃、手術開始。治療はカテーテル使用によるもの。まずは心臓の冠動脈に造影剤を注入、心筋梗塞の原因となっている血管の狭窄箇所を特定し、バルーン(風船)とステント(メッシュ状のチューブ)による血管の拡張、というもの。狭心症や心筋梗塞の治療としては現在もっともポピュラーなものだそうです。ベッドに乗せられたまま手術室へ入り、手術台に乗せ換えられました。カテーテルは左の手首から1本、右の鼠蹊部(そけいぶ・・つまり脚の付け根)から1本、計2本が動脈へ挿入されることになりました。手首は大したことありませんでした。最初の麻酔注射がチクッと痛かっただけで、その後は意識することもありませんでした。問題は鼠蹊部・・脚の付け根、太ももの上のところなどという柔らかい場所は麻酔注射さえ痛い! そしてカテーテルの挿入も痛い! しかし痛いからと言って動くことは許されない・・カテーテルが不用意に動いて動脈を内側から傷つけるようなことがあっては一大事ですから、患者は台に拘束されている訳です。痛くてもガマンするだけ・・ある意味、胸の痛み苦しみを忘れてしまうほどでした。

悪いことに、手術で使うグリグリと動き回るレントゲン装置の動きが不調(だったと、手術終了後に聴きました)で、少し時間がかかってしまいました。その上、途中でカテーテルを1本追加することに・・挿入箇所は右の鼠蹊部。また痛い麻酔注射と、カテーテル挿入・・もうどうにでもなれ!とにかく早く終わらせてくれ!という気分でした。手術が終わったのは11時30分頃・・開始から2時間が経過していたのでした。その間、自分は台に完全固定され、微動だにできず。やっと終わった・・と思いました。が・・




【集中治療室(ICU)】

苦しみはまだ終わりではないのでした。手術室から運び出された自分・・今度は集中治療室(ICU)へと運びこまれました。しかもこの病院に1床だけ設けられた、ICU内の個室・・すなわち、「予断を許さない」状況にある患者となった訳です。そこで絶対安静・・言葉では聴いたこともあり、理解していたはずの絶対安静。現実はかなりスゴイことになっていました。本当に動いてはいけない。寝がえりをうつことも許されない。なぜなら、カテーテルを挿入した鼠蹊部の止血をするため・・そりゃそうです。動脈に穴を開けている訳ですから、止血に失敗すれば大量出血です。

ICUのベッドに固定されて5、6時間が経ちました。腰が痛い・・もともと腰痛持ちで腰が弱い自分。胸の発作は治療によって治まったのに、今度は腰が痛い。さらにカテーテル挿入した鼠蹊部の傷口も痛い。脚の拘束を解かれた後も、大きく動かすことは許されず・・と言うか、動けば傷口が激しく痛む。眠ってしまえば気にならなくなる、そう思ったのですが・・

2時間おきに体温と血圧の測定、4時間おきに採血・・これが昼夜を問わず続けられたのです。夜も眠ったと思ったら起こされて体温、血圧、採血・・本当につらかった。しかしこのときはまだ、このICUに3日間も入れられて絶対安静状態が続くとは思いもよらなかったのでした。つまりこの苦しみは、まだまだ始まりに過ぎなかったのです。

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