岐阜城へ行ってきました 

20170308_01.jpgメガーヌR.S.を引き取りに岐阜まで行きましたが、それだけで帰ってしまうのはもったいない気がしたので、早めに出かけて午前中に用事を済ませ、午後は観光に充てることにしました。そして恒例のお城めぐり・・まず岐阜城は外せないでしょう、ということで。



天下布武を掲げ、この地を「岐阜」と改めたのが織田信長。お城も前にこの地を治めていた斎藤氏の時代には「稲葉山城」と呼ばれていたのが、織田氏の時代からは「岐阜城」となりました。「岐山より起り、天下を定む」という中国故事にちなんだそうです。

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岐阜城が建てられている金華山・・間近で見るとよくわかるのですが、急峻な山ですね。安土山も登るのに自分は息が切れましたが、金華山はロープウェイが設置されているので山頂付近まで楽に登れます。この山、昔は徒歩で登っていたのですよねぇ・・と言うか、現在も登山道があるのですが、自分としては絶対に登りたくも下りたくもありません。

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ロープウェイの山頂駅から少しだけ階段を上るのですが、それでも息が上がってきました。そして本丸、天守・・現在見られる天守は昭和時代に再建された復興天守で、内部は資料館になっています。天守最上階の廻縁・高欄からは近くを流れる長良川とその先に広がる平野もよく見え、戦いの城としてだけでなく、城下町を繁栄させるのにも好立地であったことが伺えます。

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さて織田信長が安土城に移ってからの岐阜城がどうなったか、実はあまりよく知らなかったのですが・・

信長の嫡男 信忠から始まって、織田氏・豊臣氏家臣が歴代城主を務め、最後の城主となったのが織田秀信・・あの清州会議での三法師が元服した後の名です。秀信は関ヶ原の戦いで石田方(いわゆる西軍)に付いたため、徳川方(東軍)に攻められ岐阜城はあえなく落城。そして廃城となったのだそうです。そう、江戸時代以降、ここはただの城跡だったのですね。廃城後、岐阜城天守をはじめとする建物の一部は、岐阜市内の平地に新たに築城された加納城へ移築されたのだとか。

加納城・・これの存在をまったく知りませんでした。現在、城址公園として整備されているそうですので、また近いうちに訪れてみたいと思います。と言うか、知っていたら岐阜城とセットで見に行ったのに・・

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