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箕作城へ行ってきました 

20200326_01.jpg行けるうちに行っておこうシリーズ。今回も近場にもかかわらず行けていない山城です。それは箕作城(みつくりじょう)。ここは地元でも歴史に興味が薄い人だと「え?そんなところに城跡があるの?」という感じになってしまうところです。なので観光地化が進んでおらず、当然ながらロープウェイなども無いので人力で登山するしかないのです。そういうこともあって、自分もこれまでなかなか行けずにきました。



2020年3月19日

箕作城は箕作山の山頂に築かれた山城です。鎌倉時代から近江国守護を務めていたのが近江源氏 佐々木氏ですが、その後、近江は南北ふたつに分割して統治されるようになりました。以後、室町時代を経て戦国時代まで南近江を治めたのが守護大名 六角(佐々木)氏でした。六角氏の本拠地は観音寺山に築かれた観音寺城なのですが、その支城として箕作城は築かれました。戦国の覇者 織田信長が岐阜から上洛する際に六角氏は攻められ、観音寺城とともに箕作城は落城します。



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さて、箕作山山頂へ至る登山道は何本かあるようですが、季節的なものか、安全配慮のためか、使えなくなっているものもあります。冒頭の写真のところも獣害防止柵の扉が針金で固定され開閉できなくなっていましたが、少し離れた場所にある貴舩神社(きぶねじんじゃ)へ行き来するための石段のから登山道のひとつへと入ることができるようになっていました。



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その登山道というのがこんな感じです。結構険しい山道で、何度も息が切れて、100メートル進むごとに休憩を入れる始末でした。人の気配はまったく無く、猿などの野生動物が襲って来やしないかと不安になってきて、途中からポータブルラジオの電源を入れて人間の存在をアピールして進みました。どうにかこうにか尾根に到達したときの安堵感と言ったら、それはもう・・



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尾根に上がってからもまだ道は続き、登り勾配も少しありました。そして突然現れる箕作城址の石碑。ここまで城跡の遺構らしきものは何も見つけることができませんでした。この石碑だけなのか・・石碑の先にも道は続いていたので先に進むと、最後に急な登り坂が。



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最後の坂を登り切った先に見えてきたのは送電線の鉄塔。その足元には「箕作山 頂上 標高325.4m」の看板が。



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山頂からの眺めはこんな感じ。地元でよく知る土地のはずなのに、この角度から見たことはなかったのでとても新鮮な気持ちです。雑木が生い茂ってしまっていますが、これがきちんと伐採されていた往時なら、ここに支城を築いて周辺監視をおこなっていたこともうなずけます。季節はずれの暖かさで、汗びっしょりになりましたが、いい登山でした。

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